Whistleblowerか内部告発者か

大分昔ニューヨークで不動産投資金融会社のMDをしていたころ、ユダヤ人の社長からconnotation(日本語訳は含意)ということを何回も教えられた。
例えば、日本ではスキームという言葉をよく使う。複雑な不動産金融取引のやり方を、「この案件の金融スキームは・・・」という言い方を普通にする。このスキームという表現は米国人には絶対してはいけないと言われた。では何といえば良いか?ストラクチャーと言うべきだ。スキームは人を欺くというbad connotationがあるのだ。ストラクチャーはニュートラルな言葉であり、悪いconnotationは無い。
もう一つの例。海外にある日本の会社では、現地採用の社員のことをローカルとよく呼ぶ。この言葉には現地の人を下にみる考えが滲んでいる。現地採用の米国人であればAmerican employeeとか表現すべきであり、bad connotationを持つ言葉の使用は控えるべきだ。
トランプ大統領の弾劾プロセスを民主党が進めようとしている。大きな原因はトランプ政権(あるいは国務省等の行政機関の要職)にいるwhistleblowerによる内部告発だ。トランプがウクライナの大統領に軍事支援と引き換えにバイデン元副大統領の息子の不正行為を調べるように依頼したという情報がwhistleblowerにより表に出たのだ。
日本語では内部告発者(このまま英語に訳すとinternal accuserだろうか)という言葉を使うが、この言葉には私にはまだ違和感がある。裏切って重要情報を社外にもらし会社や上司を告発するというbad connotationがある。社内ホットラインの受け手役に何社かなっているが内部告発は非常に少ない。これには内部告発という語感の問題もあると強く思うのだ。
一方、Whistleblowerという言葉には、本来社会が知らないといけない隠された状況・情報を明らかにしてくれたということでneutralかpositiveなconnotationがあると思う。Time紙恒例のPerson of the Yearにおいて2002年はThe Whistleblowersとして、Enron, World Com, FBIで内部告発した3人の女性が取り上げられた。困難な状況で正義の告発をした人たちとして英雄視され、whistleblowerという言葉も広く知られるようになった。(余談だが、Time紙の2001年のPerson of the Year は今トランプの顧問として糾弾されているジュリアーニ市長でした。歴史の皮肉を感じますね)
2019年1月に公開されヒットした邦画「七つの会議」をご存じだろうか。池井戸潤原作、野村萬斎、香川照之主演の、企業犯罪エンターテインメントである。広告によれば「ぐうたら社員の告発による社内のパワハラ騒動を機に、会社の闇が暴かれてゆく」ということだ。飛行機で見たが大変面白い作品だった。

機内では英語の字幕があるのですが、英語のタイトルは何だと思いますか? Whistleblowerでした。        (2019.10.10)

「対岸の火事」か「他山の石」か

日産自動車、かんぽ生命(日本郵政)そして関西電力と、日本を代表する一流企業(と一般には考えられている)での、不祥事が止まらない。
不祥事が発生し、その内容を知った際に、多くの人は、「対岸の火事」として考えがちだ。自分には関係ない世界の出来事だ、業種が違う、会社のガバナンス形態が違う、意思決定の方法が違い不祥事は起こりえない、というような理由をあげて思考停止する。
そうだろうか。
役員報酬の決定方法、取締役会の運営方法、営業推進の方法、社員へのノルマ・報奨制度、地公体との関係、発注先との関係、交際費の使い方等、問題を一般化して考えれば、いろいろと自分たちの組織の在り方を見直す機会になりそうだ。
うかうかしていては駄目だ。不祥事に学び、「他山の石」とする姿勢が重要だ。
(2019年10月7日)

山陰旅行の印象

山陰旅行

2泊3日の山陰旅行に行ってきました。
羽田から出雲に入り、出雲大社特別見学、玉造温泉泊、足立美術館見学、観光列車天地号乗車、三朝温泉泊、鳥取砂丘見学、鳥取から羽田へ戻るという日程の、ゆったりした日程の旅行でした。

出雲大社
八足門から神域に入り参拝させていただきました。八足門をくぐると外界より急に気温が下がったように感じられました。出雲大社のしきたりに従い、2拝4柏手1拝でお祈りしました。人出は思ったより少なかった。

足立美術館
日本庭園は見事でした。窓枠が額縁になり、まさに絵を切り取った風景を楽しみました。
横山大観のコレクションは若いころから晩年の作までそろっていました。僭越ですが、大観は若い時のほうがずっと良いと思いました。風景画に自己の内面が見事に浮かび上がっているからです。
魯山人のコレクションも見事でした。ホテルニューオータニの美術商に魯山人の作品が時々あり高値の花と眺めていますが、足立美術館のものは、値を付けられないほどの名品に見えました。

観光列車天地
安木から倉吉まで乗車。途中見るもの無し。

鳥取砂丘
砂の美術館に保存されている砂のアートには感心しました。砂丘は、とても小さい。

ドバイの砂漠はバギーで走り回ってもどこまでも砂漠だった、オアシスには大きなリゾートホテルが建っていた。鳥取砂丘のオアシスは寂しい。今では誰でも簡単に海外旅行でき、砂漠を見ている人も多いと思われます。従来通りの売り方だと、日本人の観光客は減っていくと思います。

総括的な印象:
・出雲市、米子市、安木市、鳥取市、どこに行っても人がとても少ない。
・鳥取砂丘以外は外国人観光客を殆ど見なかった。
・観光列車天地は乗る価値があるか疑問。
・インバウンド客に訴求するのには何か工夫が必要と思われた。
・玉造温泉、三朝温泉、いずれも温泉の質には満足した。温泉街は大分さみしくなってきている印象を持った。いずれも温泉街の真ん中を川が流れており、もう少し徒歩で歩く宿泊客を取り込む工夫が必要だと思われた。
2019/10/1 記

パンとサーカスを

パンとサーカスを
クロアチアを旅行してプーラという都市にあるローマ時代に作られた円形競技場を間近に見た。円形競技場の遺構としては建設当時の様子を最もよく残すものの一つだそうだ。当時の収容人数は23000人。現在もコンサートなどに使われる際には5000人を収容できるという。同じく、クロアチア旅行中に、スプリットという都市のローマ皇帝ディオクレティヌス(在位284-305)が引退後に建設させた宮殿の跡を見た。ディオクレティアヌス帝はキリスト教徒の迫害で有名で、ローマの円形競技場ではキリスト教徒と猛獣を戦わせて惨殺していたらしい。ローマ史をみると、キリスト教がローマで公認されるのが313年。国教に指定されるのが384年。ディオクレティアヌスの迫害が最後のキリスト教徒への大迫害と言われるようだ。
ローマの皇帝が取った一般市民の愚民化政策を表す言葉に「パンとサーカスを」という言葉がある。高校で読んだ山川出版社の世界史の教科書に載っていたし、為政者の政策として耳にしたことがある方が多いと思う。市民に食料と娯楽を無料で提供し、市民の政治への関心をそらせて、支配者に都合の良い政策を行うことを表す言葉だ。
この言葉はいかにもローマ帝国の末期にふさわしい印象だ。改めて調べてみると、ユヴェナリスという詩人が言い出した言葉だそうだ。彼の生涯(60-130)はネルヴァ(在位96-98)に始まり哲人皇帝マルクス・アウレリウス(在位160-180)に終了する「五賢帝」時代の最初の3代の時代に相当する。だとすれば、「ローマが最もよく治められていたと言われる賢帝の統治下で『パンとサーカスを』はスタートしていたのだ」と納得する。
さて、9月20日のラグビーワールドカップの初戦で日本はロシアに30-10で快勝。試合の途中からTVを見た筆者はくぎ付けになり試合を楽しんだ。今日はアイルランドとスコットランドの試合も見てしまった。今年はラグビー、来年はいよいよ東京オリンピックだ。ニュースによれば、ラグビー観戦にはビールがつきものでラグビー協会から試合会場のスタジアムと飲食店にはビールを決して切らすことが無いようにというお達しが出ているらしい。スタジアムではビールを売るきれいな女性が増員されているらしい。さあ、ビールをのんで試合を楽しもうではないか。
これってどこか「パンとサーカスを」に似ていませんか?
(2019.9.22)

クロアチア紀行 (その3 最終回)

2019年9月8日(日):ドブロブニク
朝一番にスルジ山のロープウェイに。眼下にドブロブニク市街の全景が広がる絶景。午後から強風で動かなくなったとのことであった。場内の目玉である
サンフランシスコ修道院、大聖堂を見学。大聖堂では鐘楼を制覇。風が涼しく四方の見晴らしが絶景。
城内は大変な混雑。早めの昼食後(イカのソテーがおいしい)約50分のミニクルーズへ。風強く波荒く大きく揺れるが楽しいクルーズとなった。
午後は城壁巡り。一周2キロというがのぼりくだりがあり結構きつい。暑いし喉も乾く。少し人いところでは飲み物を出す売店が出ている。
夜はホテルのVictoriaというレストランで旅行最後の晩餐。景色よく、食事の味も良い。

筆者の視点:休憩スペースにちょっとした工夫を
西欧では息抜きスペースも小洒落ているところが多い。日本はちょっとどうもねというところが多い。茶店は日本の伝統のはずだから、飲料に甘味を提供する休憩スペースがあると来日客に喜ばれそうだ。

クロアチア概観
クロアチアと聞いてどこにあるかはっきり言える人は少数だと思われる。私もこの旅行に行くまでよくわからなかった。スロベニアの東となりで国土がくの字をおしつぶしたような形になっている。

歴史
内陸部は9世紀ころからこの地に住むカソリック南スラブ系の民族が879年に教皇から独立を認められたとされる。その後オスマン・トルコに支配された時期もあったが、その後オーストリア・ハンガリー帝国のハンガリー支配下の自治領となる。アドリア海沿岸部は多くの都市がベネチアに開発されたようにイタリアの影響が強かったがオーストリー支配下の自治領となる。こうしてハプスブルグ家の支配下で第一次世界大戦を迎える。
オーストリー・ハンガリー帝国崩壊後の1918年には、セルビア・クロアチア・スロベニア王国を成立させる。この後第二次大戦までと戦後の期間いろいろと簡単に書けない変動があり、最終的にはパルチザンの勇士チトーが率いるユーゴスラビア社会主義連邦共和国が1943年に建国されチトーのリーダーシップで1980年彼の死までは維持された。
チトー死後の遠心力の高まりで独立を志向するも国内にセルビア人が住んでいたためクロアチアは1991年に独立を宣言するが、1995年まで内戦が続いた。
2013年にEUに加盟。通貨はユーロを導入に至っていない。

地理
西にスロベニア、北にハンガリー、東にボスニア・ヘルツェゴヴィナに接する大きなくの字の形状の北海道の1.5倍ほどの大きさの国。
人口は約450万人。

経済
GDP:607億ドル (2019、IMF)
一人当たりGDP:15,059ドル (2019、IMF) スロベニアより低い
産業構成:第一次3.7% 第二次26.2% 第三次60.1% うち観光9.4%
第二次産業では自動車等輸送機器、電気機器、医薬品
代表的な企業:INA(半国営石油会社)、クロアチア航空、Rimac Automobili
(電気自動車)

有名人
サッカー選手やテニス選手で著名人があがっているが筆者の知っている人はいなかった。
なお、サッカーのオシム監督、ハリルホジッチ監督はいずれもボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身。

これでクロアチア紀行終わり