クロアチア紀行 (その3 最終回)

2019年9月8日(日):ドブロブニク
朝一番にスルジ山のロープウェイに。眼下にドブロブニク市街の全景が広がる絶景。午後から強風で動かなくなったとのことであった。場内の目玉である
サンフランシスコ修道院、大聖堂を見学。大聖堂では鐘楼を制覇。風が涼しく四方の見晴らしが絶景。
城内は大変な混雑。早めの昼食後(イカのソテーがおいしい)約50分のミニクルーズへ。風強く波荒く大きく揺れるが楽しいクルーズとなった。
午後は城壁巡り。一周2キロというがのぼりくだりがあり結構きつい。暑いし喉も乾く。少し人いところでは飲み物を出す売店が出ている。
夜はホテルのVictoriaというレストランで旅行最後の晩餐。景色よく、食事の味も良い。

筆者の視点:休憩スペースにちょっとした工夫を
西欧では息抜きスペースも小洒落ているところが多い。日本はちょっとどうもねというところが多い。茶店は日本の伝統のはずだから、飲料に甘味を提供する休憩スペースがあると来日客に喜ばれそうだ。

クロアチア概観
クロアチアと聞いてどこにあるかはっきり言える人は少数だと思われる。私もこの旅行に行くまでよくわからなかった。スロベニアの東となりで国土がくの字をおしつぶしたような形になっている。

歴史
内陸部は9世紀ころからこの地に住むカソリック南スラブ系の民族が879年に教皇から独立を認められたとされる。その後オスマン・トルコに支配された時期もあったが、その後オーストリア・ハンガリー帝国のハンガリー支配下の自治領となる。アドリア海沿岸部は多くの都市がベネチアに開発されたようにイタリアの影響が強かったがオーストリー支配下の自治領となる。こうしてハプスブルグ家の支配下で第一次世界大戦を迎える。
オーストリー・ハンガリー帝国崩壊後の1918年には、セルビア・クロアチア・スロベニア王国を成立させる。この後第二次大戦までと戦後の期間いろいろと簡単に書けない変動があり、最終的にはパルチザンの勇士チトーが率いるユーゴスラビア社会主義連邦共和国が1943年に建国されチトーのリーダーシップで1980年彼の死までは維持された。
チトー死後の遠心力の高まりで独立を志向するも国内にセルビア人が住んでいたためクロアチアは1991年に独立を宣言するが、1995年まで内戦が続いた。
2013年にEUに加盟。通貨はユーロを導入に至っていない。

地理
西にスロベニア、北にハンガリー、東にボスニア・ヘルツェゴヴィナに接する大きなくの字の形状の北海道の1.5倍ほどの大きさの国。
人口は約450万人。

経済
GDP:607億ドル (2019、IMF)
一人当たりGDP:15,059ドル (2019、IMF) スロベニアより低い
産業構成:第一次3.7% 第二次26.2% 第三次60.1% うち観光9.4%
第二次産業では自動車等輸送機器、電気機器、医薬品
代表的な企業:INA(半国営石油会社)、クロアチア航空、Rimac Automobili
(電気自動車)

有名人
サッカー選手やテニス選手で著名人があがっているが筆者の知っている人はいなかった。
なお、サッカーのオシム監督、ハリルホジッチ監督はいずれもボスニア・ヘルツェゴヴィナ出身。

これでクロアチア紀行終わり