交渉のテクニック

  交渉テクニックとして代表的な、FITD(Foot in the Door)、DITF(Door in the Face)、BATNAという言葉をご存じだろうか。
それぞれを実務イメージに近い具体例付きで整理する。

1.FITD(Foot in the Door) 相手がドアを開けてくれたらすかさず足を入れて相手がドアを閉められなくするということだ。
概要:小さな依頼への「はい」を積み重ねてから、より大きな本命依頼を通すテクニックだ。
 最初の小さな行動を通じて、相手に「自分はこの人/このテーマを手伝うタイプだ」という自己認識をつくらせることがポイントだ。

典型的な例(営業・マーケティング)
 ウェブ上で、最初は「メールアドレス登録だけ」など小さな行動を求め、その後に有料サービスの案内を行う、という形で多用されている。

例:不動産ローン比較サイトで、最初に「簡単な質問に答えるだけ」のフォーム(年収帯、エリアなど)に回答してもらう。
最後に「詳細なローン診断結果をメールで送るので、氏名・メールアドレスを入力してください」と本命の情報提供依頼を行う。

ビジネス交渉への応用イメージ
取引先に対し、いきなり大きな仕様変更や単価改定を求めるのではなく、まずは「試験導入」「パイロットプロジェクト」「限定的な値上げ」など、インパクトの小さい承認から始める。

例:
第1ステップ:一部製品だけ3カ月間、+2%の価格改定を試させてほしい(小さい依頼)。
第2ステップ:うまくいったことを確認後、全製品への本格値上げや長期契約条件の見直し(大きな本命依頼)。

2.DITF(Door in the Face)相手がドアを開けてくれたらすかさず頭(つまり上半身を突っ込んで、そのあと徐々に身を引いて話をするやり方だ。
概要:まず「わざと断られるような大きな要求」を出し、その後に本当に通したい、より控えめな要求を提示して、相手に「譲歩してもらったから、こちらも譲歩しないと」と感じさせるテクニックだ。
 相手に「こちらが大きく引いた」という印象を与え、返報性や罪悪感を刺激する。

身近な例
親への門限交渉:
子ども「今日は24時まで外出していい?」
親「ダメ」
子ども「じゃあ、せめて22時まででもいい?」
→ 最初の要求よりかなりマイルドに見える22時が、通りやすくなる。

ビジネス交渉の例
フリーマーケットや値引き交渉で、最初に相場よりかなり高い価格を提示し、相手が断った後で「特別にここまで下げる」と、実はまだ自分に有利な価格で合意させるケースが挙げられる。

例:
売り手「このアンティーク時計は500ドルです」
買い手「高すぎるのでやめます」
売り手「では今日だけ特別に100ドルでどうですか」
→ 買い手は「400ドルも下げてもらった」と感じるが、そもそも自分の想定価値は50ドルであり、売り手に有利な価格で成立している。

3.BATNA(Best Alternative to a Negotiated Agreement)
概要
交渉が決裂した場合に、自分が取り得る「最良の代替案」のこと。
 「この条件なら合意せずにBATNAを選んだ方が得か?」という基準線となり、自分の底値(あるいは歩留まり条件)を決めるのに使われる。

シンプルな例(中古車の売買)
例:
ColinはTomの車購入を検討しており、Tomは1万ドルを提示。
Colinは他の市場調査から、同等の車を7500ドルで買えるとわかっている。
この場合、ColinのBATNAは「Tomとは合意せず、別の売り手から7500ドルで購入する」こと。
従って、Tomとの交渉で7500ドルを超える価格では合意すべきでない、という判断ができる。

企業交渉の例
 企業の合併・提携交渉で、「この相手と合意できなかった場合に、単独成長戦略や他社との提携など、どの代替案を取るか」を具体的に検討・強化しておくことで、交渉力が高まる。

例:
会社Bは会社Aとの合併交渉中だが、「合併しなくても、自社で新市場に進出し成長できる」という明確な代替案(BATNA)を持っていた。

そのため「不利な条件なら合併しない」という姿勢を貫き、結果として、経営陣の継続や文化維持など、より有利な条件を引き出すことができた。

4.トランプ大統領の交渉事例
 FITDはほとんど使わない。DITFとBATNA(あるいはBATNAの「演出」)として語られる事例の方が圧倒的に多い。

DITFに近い事例(極端要求 → 「譲歩」)
 トランプは「大きく吹っかけてから下げる」DITF型だと、心理学の文献などでは明示的に位置付けられている。そのやり方はTACO Trump Always Chickens Out と評されることがある。

代表的なパターン:
メキシコ国境の壁・予算要求
 2018年の政府閉鎖を伴う攻防では、象徴的かつ巨額な「壁の完全建設」や高額予算を強く要求し、拒否された後、より小さな妥協案に移行する形が見られた。​
 初手で「極端な案」を出し、後の縮小案を「譲歩」と見せる典型的なDITF的運用だ。

グリーンランドやガザに関する極端提案
 「グリーンランドを買収する」といった非現実的な案や、ガザ情勢での極端な要求を出し、その後より現実的な選択肢に移ることで、相手に「これならまだマシ」と思わせるフレーミングが指摘されている。

通商交渉(関税・NAFTA→USMCA等)
 「協定からの全面離脱」「大規模関税」などを最初に示し、その後の条件緩和や部分合意を「大きく譲歩した結果」として位置付けるやり方がたびたび見られる。 極端なスタートポジションでアンカーし、その後の要求を相対的に「合理的」に見せる点で、DITF的な構造を持っている。

BATNA(もしくはBATNAの強調)に該当する事例
 トランプの交渉スタイルを分析した研究や論考では、「相手に対し、自分側のBATNAが極めて強いと見せる」「代替案を誇張して示す」という特徴が繰り返し指摘されている。

代表的なケース:
関税交渉(対中国・対EU・鉄鋼アルミ関税など)
 米国の「世界最大の消費市場」「仕入先の多様性」「サプライチェーンの付け替え能力」を強調し、「合意しなくてもアメリカは困らない」「むしろ相手の方が困る」というメッセージを発信した。
​ 研究では、これは「強いBATNAを繰り返し強調し、相手の譲歩を引き出す戦略」と整理されている。

NAFTA再交渉(USMCA)
「NAFTAからの離脱」を公然と示唆し、離脱後でも米国はやっていけるという姿勢を打ち出すことで、カナダ・メキシコに「最悪の代替案(米国離脱)」を意識させ、譲歩を引き出したと分析されている。
 これは「こちらはいつでも席を立てる」というBATNAの強調と、「相手のBATNAを弱く見せる」組み合わせだ。

「BATNAの操作」としての関税・同盟カード
 関税や安全保障カードを用い、「合意しない場合の世界」を相手にとって一層不利に見せることで、「交渉に応じるしかない」と思わせる手法、即ち「BATNAの操作」を使っている。
​ つまり、実際のBATNAだけでなく、「相手にどう見せるか」まで含めて活用している、という評価だ。

今日は、FITD、DITF、BATNAについて説明した。実社会ではもちろん、内部監査のテストでよく出る分野なので、受験の参考にもなるはずだ。

2026年1月25日 日曜日