鉢の木

昔話としてなじんだ「鉢の木」は、もともとは能として広まったお話だ。今日佐野のSAで夕食を食べながら思い出した物語「鉢の木」をご紹介したい。

以下Wikipediaからの引用。
「ある大雪のふる夕暮れ、佐野の里の外れにあるあばら家に、旅の僧が現れて一夜の宿を求める。住人の武士は、貧しさゆえ接待も致されぬといったん断るが、雪道に悩む僧を見かねて招きいれ、なけなしの粟飯を出し、自分は佐野源左衛門尉常世といい、以前は三十余郷の所領を持つ身分であったが、一族の横領ですべて奪われ、このように落ちぶれたと身の上を語る。噺のうちにいろりの薪が尽きて火が消えかかったが、継ぎ足す薪もろくに無いのであった。常世は松・梅・桜のみごとな三鉢の盆栽を出してきて、栄えた昔に集めた自慢の品だが、今となっては無用のもの、これを薪にして、せめてものお持てなしに致しましょうと折って火にくべた。そして今はすべてを失った身の上だが、あのように鎧となぎなたと馬だけは残してあり、一旦鎌倉より召集があれば、馬に鞭打っていち早く鎌倉に駆け付け、命がけで戦うと決意を語る。
年があけて春になり、突然鎌倉から緊急召集の触れが出た。常世も古鎧に身をかため、錆び薙刀を背負い、痩せ馬に乗って駆けつけるが、鎌倉につくと、常世は北条時頼の御前に呼び出された。諸将の居並ぶ中、破れ鎧で平伏した常世に時頼は「あの雪の夜の旅僧は、実はこの自分である。言葉に偽りなく、馳せ参じてきたことをうれしく思う」と語りかけ、失った領地を返した上、あの晩の鉢の木にちなむ三箇所の領地(加賀国梅田庄、越中国桜井庄、上野国松井田庄の領土)を新たに恩賞として与える。常世は感謝して引きさがり、はればれと佐野荘へと帰っていった。」
という話で、すがしい印象を残す。

北条時頼について
調べてみると生年1227年で没年1263年でありわずか36歳の生涯だ。鉢の木では年老いた旅の僧のイメージだが大分違う。
第5代執権として活躍したのは1242年(15歳)から1256年(29歳)の14年間であり、平均寿命の短い時代とは言え、若い人々が活躍していた鎌倉時代ということがわかる。

鉢の木の話は人口に膾炙され、こんな江戸川柳が残っている。
「佐野の馬 戸塚の坂で 二度転び」
年老いた佐野助左衛門の馬は戸塚の急坂(箱根駅伝の難所権太坂を指す)で2度も転んだと茶化している。

・見返りが無くても困った人を助け、もてなすという美しい精神
・一旦、国難あれば、何をおいても駆けつける武士としての心構え
・忠実な働きぶりに目を配り、報いる主人
こういった要素が我々の胸を打つ。
でも
これって今の日本からは失われていますよね。

(2020.7.22)