先週日曜の4月10日、佐々木朗希投手が完全試合を達成した。この日はTV中継なく達成の瞬間を目撃することは出来なかった。
我が野球観戦歴で最も感動したのがジム・アボット投手のノーヒット・ノーランをヤンキースタジアムで目の当たりに出来たことだ。1993年9月4日のことだった。
生まれつき右手首から先が無いハンデを負いながら、左手で巧みにグラブを持ち替えて、左手のみで投球、捕球、送球を行うグラブスイッチ(別名「アボット・スイッチ」)と呼ばれる投法を用いた。右利き用のグラブを右手の手首の上に乗せ、左手での投球の直後にそのグラブを左手にはめ直し、打球を捕球した後は素早くボールごとグラブを右脇に抱えて外し、左手でボールを取り出して送球した。
1987年のソウルオリンピックでは、決勝で日本と対戦し先発して完投、アメリカ代表は金メダルを獲得したので、特別な投法と相まって、記憶にある野球ファンも多いと思う。
当日は次男と私の二人でヤンキースタジアムでクリーブランド・インディアンズ戦を観戦した。7回あたりからスタンドはざわつき始めた。
7回、8回とヤンキーズの守備陣がきっちりアウトを取ると、スタジアムは歓声に包まれた。9回先頭、イ軍1番ロフトンはセーフティーバントを仕掛けた(ファウル)。観衆からすごいブーイングが起こった。盗塁王ロフトンにとってバントは武器の一つで、恥じることはない。だが次は真っ向から打ちに来た。大リーガーのプライドだ。二塁ゴロ。次打者は中飛、最後のバイエガは遊ゴロに倒れ、大記録は達成された。イ軍はバント攻めの姑息(こそく)な手は用いなかった。達成の瞬間はスタジアムが大きなどよめきに包まれ、観衆全員が近くにいる観衆とハイタッチしたり抱き合ったりした。
「9回になってから、やっとノーヒットを意識した。だけど4、5回と同じように投げようと努めたよ」生まれついて右手の手首から先がない。だが、「自分をハンディキャップ(障害者)と意識することは決してない。ほかの人間にできることは、同じように自分にもできる、と信じてここまでやってきた。」とアボットは試合後に語っている。
シーズンオフのファン感謝デーに、次男とアボットにサインをしてもらいたくて並んだ。ノーヒットノーラン達成の新聞記事とボールを持って行った。次男の名を聞いて、パーソナライズして、気持ちよくサインしてくれた。
ハンデを乗り越えて大リーグの一流投手になった彼のサインはこのゲームを思い起こさせ、我々に力を与えてくれた。日本のスポーツ選手が「スポーツの力」をよく口にするが、感動をもたらす実績と不屈の闘魂を示す生き方と謙虚な人格が相まって、初めてもたらされるものではないだろうか。
(2022.4.17 Sunday)