4泊6日でタイへ旅行した。1986年から89年まで3年間駐在した経験があり、タイは大好きな国だ。2,3年に一度冬に訪問して定点観測していた。
前回は2019年のコロナ前に訪問。いつものマンダリンオリエンタルが改装直前で、改装したらまた来ますとホテルに言ってたのだが、コロナで中断し、5年ぶりの訪問になった。
自分は銀行に1975年から2000年まで在籍した。本当に仕事をしたと言えるのはタイの3年間だった。当時、プラザ合意ができ、弱い米国経済を支えるために日本とドイツの通貨を強くすることになった。進行する円高に対抗するために日本企業の多くが生産拠点をタイに移した時代だった。
私が在籍した三和銀行は支店が無く(東京銀行と三井銀行だけが支店あり)、私は三和とサイアム商業銀行の合弁ファイナンス会社の営業担当副社長だった。部下は300人を数えた。35歳で運転手付きの社用車が付いた。
タイに着いたばかりに大きな洪水に見舞われ、車で動けないので膝まで水につかりながら出社したことがある。「厄払いをしたと思って頑張って」という友人の言葉に励まされた。
ビジネススクールを出たものの英語で仕事をしたことは無かった。タイと日本の商慣習の違いに戸惑いながら、英語で部下を指導し、経営層で議論し、ビジネスを拡大することが出来た。3年間の駐在期間で、新規取引先を36社獲得できたことは少し自慢だ。当時は日本の経済力が大きいので、タイの大手企業のトップにも面談することが出来た。三和の頭取が来タイした時のサイアム商銀主催のレセプションの豪華さはどこかで書いた。
いずれにしてもタイは私のビジネスマンとしての基礎を支えてくれた場所だ。その後曲がりなりにも銀行員人生を送れたのはタイの経験によるところが大きい。
4年ぶりのバンコクだが、気付いた変化について述べてみたい。
ホテルで気づいた大きな変化
1.まずは改装による部屋の変化
スタンダードルームで10㎡程度広くなった。トイレのTOTOの最新ウォシュレットが入れられ快適になった。部屋を出るために清掃する習慣は変わらず。バトラーサービスも変わらない。
2.宿泊料が高くなった
日本の高級ホテルに比べても高い。ニューヨークやロンドンの一流ホテル並みの値段だ。
3.食事代が高くなった
オリエンタルホテルの目玉はチャオプラヤ河に臨むベランダでの朝食だ。一人8000円程度で、やはり欧米の一流ホテル並みだ。
ホテル内のフレンチ、中華、タイ料理の夕食をいただいた。フレンチは日本のジョエルロブション並み。中華、タイ共に日本の一流ホテルで食べるよりも高かった。
4.日本人宿泊客が目立たなかった
いつも朝食では数組の日本人客を見かけるのが通例だったが今回は4回の朝食で見かけたのは2組だけ。プールサイドでは皆無だった。
オリエンタルでは日本人向けの担当者も以前は数人いたが今は一人になったそうだ。アジアでは韓国、中国からの客が多いそうだ。
街で気づいた大きな変化
1.日系企業の広告が激減した
空港から市内へ向かう高速わきには巨大が看板が立ち並んでいる。以前は多くが日系企業の自動車や家電や消費財の広告だった。いまは殆どない。
目立つのは中国BYDのEVの広告とタイの地場の消費財の広告だった。日系ではダイキンのエアコンの広告しか気づかなかった。
2.バンコクのスカイラインが変わった
高層ビルがますます増え、バンコク全体が巨大に上方にシフトしているように見える。奇抜なデザインのビルも多く、見るのが楽しい。
3.日本語で話しかけられなくなった
以前は日本人と見ると必ず日本語で語りかけられてきたが、今回はそういうことが激減した。日本人客が減り、日本人の購買力が減ったせいだろう。
驚いたのはタイ航空の機内アナウンスで日本語が無かったことだ。日本人フライトアテンダントもいないようだった。
4.ガソリン車とEV
日野自動車の古いバスがまだ現役で頑張っていた。数年中に間違いなく中国のEVバスにとって代わられるだろう。
街を走る自動車の殆どはまだ日本車で、金城湯池の維持は出来ているようだ。ただ、高速道路では何台かBYDのSUBを見た。タイ人が欲しがっても日本車にEVは無い。現地の駐在員は、この状況を本社にしっかり認識させているのだろうか。
5.世界各国からの観光客であふれかえっている
オリエンタルホテルの対岸にICONSiamという巨大なショッピングセンターがある。その前にチャオプラヤ河のディナークルーズの船着場がある。数百人が乗れる観光船が横付けされる。或る晩はインド人の500人ほどの団体が船に乗るのを見た。
私がタイに赴任していたころはインドは貧しかった。ニューデリーに駐在事務所を開いたが、その所長は月に一度バンコクに買い出しに来ることが許されていた。ホテルに泊まると、安心してシャワーを浴びることが出来ると喜んでいた。援助対象国からやっと金融機関がお金を貸すことが出来るレベルになった時期のインドに駐在し、命を削られた優秀な方だった。
今は世界を代表するTech企業の多くでインド人がCEOになっている。インドの庶民が大挙してバンコクに来れる時代になったのだ。この波は日本にも押し寄せるだろう。中国がいなくてもインドがあるさとインバウンド歓迎の人たちは喜ぶのだろうか。
総括:
いずれにしても日本がアジアの国々から仰ぎ見られる経済大国の時代は終わったことを実感する旅ではあった。
今朝の月面着陸成功は嬉しいニュースだが、科学技術でも地盤沈下が目立つ。高校無償化というバラマキではなく、国立大学の理工系を無料にし優秀な学生を集め研究に補助するような施策が必要だろう。私が大学生だった時学費は年間12,000円だった。
能登地震は東南海地震や首都直下地震への警鐘だ。
国債増発は問題ないという論者がいるが、数百兆円に上る復興資金が必要とされ、その時は日本をハイパーインフレが襲うだろう。その時に備え国家レベルのBCP事業継続計画を準備しなければならないが危機感は薄い。
2024年1月21日