ポーランド旅行

8月上旬に1週間のポーランドツアーに参加した。往復LOT(ポーランド航空)のワルシャワ直行便で楽だった。飛行機は、成田ー北京ーウルムチーバクーー黒海を回り込んでーワルシャワという経路で約14時間、飛行した。機内画面の航路図ではドンバス上空を通る経路が示されたが、ロシアの領土を避け、黒海も避けたルートだった。

クラクフ、アウシュビッツ、ワルシャワと一筆書きで動くコンパクトな旅だった。最高気温が26度ぐらいで湿度が低く快適な気候だった。ポーランドは国土の広さは日本の5分の4。人口は3800万人。一人当たりGDPは25000ドルで、日本の33000ドルに近付いている。

旅で一番印象に残ったのはアウシュビッツ訪問だった。アウシュビッツはドイツ人が設置した最大規模の強制収容所で、火葬場、絶滅収容所、および強制労働収容所がある強制収容所の集合体だった。クラクフ近郊にあったポーランド陸軍の兵舎を改造した捕虜収容所が、ユダヤ人を抹殺する施設へ拡大していったものだ。現在は、アウシュビッツ第1強制収容所、アウシュビッツ第2強制収容所(ビルケナウ)が見学の対象になり、言語別ツアー専門のガイドさんが案内してくれる。日本人の訪問者はコロナ前が年間32000人ほど。今は8000人ほどに減少しているとのことだ。

収容されていたユダヤ人の10人中9人、100万人を超える人々がアウシュビッツで命を失った。4つの巨大なガス室は、それぞれ同時に2,000人が入れた。シャワーを浴びさせるという名目で裸にして毒ガスで殺害しすぐに遺体を焼却した。

収容所の入り口に掲げられている看板には「ARBEIT MACHT FREI」と書かれている。これは「働けば自由になる」という意味だが、実際は、その全く逆で、貨車で送り込まれた大量のユダヤ人で強制労働に耐えられそうな者を除き、ほとんどのユダヤ人はすぐにガス室に送られた。

ナチスによるユダヤ人抹殺の狂気はヒトラー個人の思想を基にするものだったが、大量虐殺を実施したのはナチス党の幹部とそれに従う官僚機構だった。

「関心領域」という映画で扱われたルドルフ・ヘスというアウシュビッツ所長の住宅が残っている。彼は、官僚として大量のユダヤ人の処理を何のためらいもなく粛々と実行したのだ。人間の大衆心理による狂気は動き始めたら止めるのは困難だ。ドイツの現政権が、極右のAfDの台頭に神経をそばだてるのは理解できる気がした。

さて、ポーランドの3大偉人は、ショパン、キュリー夫人、コペルニクス。ワルシャワではショパンの心臓が収められている教会を見、公園でオープンコンサートを見、郊外の生家を訪ねた。

英語のジョークで「世界で最も短い3冊の本は何だ」というのがある。正解は、

Polish Who’s Who
Italian War Hero
Jewish Work Ethics

というのだが、ポーランドの偉人3人は凄い。日本でこれに匹敵する偉人としては誰を挙げられるだろうか。

ポーランドの夏を楽しんで、ワルシャワ・ショパン空港から帰路についた。

2025年8月16日 土曜日