アントニオ猪木さんのこと

アントニオ猪木さんは二度実物を見たことがある。

一度目は1979年にカリフォルニアのナッツベリーファームで。当時私はUCLAに留学中で、休日に有名な巨大遊園地を家内と訪れた。確か「砂金すくい」の列で、我々の数人前に倍賞美津子さんと二人で並んでいた。猪木さんは巨大な印象はなく、背の高い好青年というイメージで、お二人は仲の良いカップルに見えた。

二度目は猪木さんが挙行した2014年8月30(土)、31(日)、『インターナショナル・レスリング・フェスティバルin平壌』(柳京・鄭周永体育館)で。日本からの総勢40人ほどのツアーに息子と二人で参加したのだ。会場に入る猪木をめがけて日本人ファンが集まった。VIPとして警備陣に囲まれていた猪木さんは足を止めて息子との写真撮影に気さくに応じてくれた。猪木さんの人脈をしても拉致被害者問題の解決が進まなかったのは残念だ。

今これを書くにあたり猪木さんの入場テーマ曲『炎のファイター INOKI BOM-BA-YE』を聞いている。YouTubeにBGM用に1時間以上流れ続けるものがありとても仕事がはかどるのだ。

「ボンバイエ」とは、コンゴのリンガラ語で「奴をやっちまえ!」を意味する「Boma ye(ボマ・イェ)」が訛ったもので、もハメド・アリがコンゴの首都キンシャサでジョージ・フォアマンと戦った際の、観客からの声援に由来している。アントニオ猪木とモハメド・アリは、1976年に日本武道館で開催された「格闘技世界一決定戦」で対戦。後に猪木の健闘を称えたアリから『アリ・ボンバイエ』が贈られ、猪木のテーマ曲にアレンジされて現在に至るのだそうだ。
https://www.worldfolksong.com/songbook/sokkuri/inoki-bombaye.html より引用。

人生100年時代にしては79歳は若いが、完全燃焼の一生だった。ご冥福をお祈りしたい。

2022年10月1日 土曜日