Paul Ankaと人生のロンド

 5月23日にPaul Ankaのコンサートを見に行った。
 1941年7月30日生まれの81歳で私より9歳年上だ。1957年にDianaを、翌年にYou Are My Destinyを大ヒットさせた。好きな歌手の一人だが、私はアンカの全盛期を、直接は知らない。

 1962年にLove Me DoでデビューしたBeatles世代だからだ。子供時代の5歳の差は大きい。60年から70年代のポップスはBeatlesが席捲した。1966年の日本武道館での公演も記憶にある。

 アンカのコンサートでは1955年の初来日時の映像が映された。三橋美智也、平尾昌晃、江利チエミと一緒に笑顔で写っているが、この人たちと私とはジェネレーションが違う。ビートルズの全盛期にアンカは忘れ去られた。

 60年代70年代に雌伏していたアンカは80年代に復活した。作曲家として他者に曲を提供し(一番有名なのはFrank Sinatraへ提供したMy Wayだ)ラスベガスのショウでの人気者になった。

 私がアンカを知ったのはニューヨークに住んでいた時にTVで昔の歌手の「リバイバル特番」を流していた。よく見たのがアンカの特集だった。抜群の歌唱力とショーマンシップに魅了された。

 東京公演ではアンカの魅力が爆発した。You Are My Destinyを歌いながら客席の後方から登場し女性ファン(ほとんどは私より年上か?)の嬌声を浴びていた。初期の大ヒット曲を連続で歌い客席を大興奮させる。Dolly PartonやBuddy Hollyへ提供した曲を、彼らとの思い出を語りながらしんみり聞かせる。最後は当然My Wayだ。その後のアンコール3曲を含め20曲近くを全力で歌い、動き続けた2時間だった。

 さて、コンサートの熱狂が去り、私とポール・アンカの邂逅に思いを致し、こんなことを考えた。

 我々の人生はLPレコードに似ているのかもしれない。生まれたときは回転スピードはゆっくりしているが回転が進むにつれてスピードが速くなり中心に向かうのだ。

 自分がいる溝の近くの友人たちとは同じようなペースで進み、触れ合う機会は多い。まだほとんどの友人が生き残っているが、若くして鬼籍に入った友人もいる。

 離れた溝にいる人達と触れ合う機会は乏しい。アンカのピーク時を私は知らないが、これは溝が離れていたからだ。ニューヨークで溝が近づく機会があったのだ。

 溝の違いが絶対的かと言うと、そうでもない。私たちは自分のいる溝の中でグルグルとロンドを踊っているので、離れた溝で踊っている人と意外に近づくこともある。手を伸ばせば届くこともあるかもしれないし、離れなければならない溝の定めなのかもしれない。

 学校や職場や社会での出会いで、多く人たちとの触れ合いに支えられながら私たちは生きている。今回のアンカの日本公演は決して「リバイバル特番」ではなかった。私を「リバイブ」してくれる刺激的なショーだった。

2023年5月27日 土曜日