昭和16年12月の動き

 「12月8日未明、帝国は米英と戦争状態に入れり。」大本営発表を勇ましく告げるNHKラジオの放送を聞き覚えのある人も多いだろう。

 昭和16年の12月に何が起こったか考察することはとても興味深い。以下に列記する。

【年表】
1941/12/01
御前会議が対米・英・蘭との開戦を決定する。

1941/12/05
野村、栗栖両大使が、日本側回答をハル国務長官に手渡す。

1941/12/06
野村駐米大使宛てに、対米最終覚書が打電される。

1941/12/07
ホノルル時間午前6時45分(日本時間8日午前2時15分)米駆逐艦ウォードが真珠湾港外で特殊潜航艇を撃沈する。

1941/12/08
日本時間午前2時、日本軍がマレー半島へ上陸開始する。

1941/12/08
日本時間午前3時19分(ホノルル時間7日午前7時49分)、日本軍がハワイ真珠湾空襲を開始する。日本時間午前4時、米英に宣戦布告の詔勅を発表し、太平洋戦争の開戦となる。

1941/12/08
イギリス、アメリカが日本に宣戦布告する。

1941/12/09
国民政府が、日本、ドイツ、イタリアに宣戦布告する。

1941/12/09
東条英機内閣が、左翼関係者・自由主義者・人道主義者など200人余を予防拘禁・スパイ容疑などで検挙する。

1941/12/10
日本軍が、マレー沖海戦でイギリスの主力艦のプリンス・オブ・ウェールズを撃沈する。

1941/12/11
ドイツ・イタリアがアメリカに宣戦布告する。

1941/12/12
ソ連軍が、モスクワに迫ってきたドイツ軍を撃退する。

1941/12/12
ブルガリア、ルーマニア、スロバキアがアメリカ、イギリスに宣戦布告する。

1941/12/13
ハンガリーが、イギリス、アメリカに宣戦布告する。

1941/12/16
戦艦大和が竣工する。

1941/12/25
香港のイギリス軍が日本軍に降伏する。

【年表を観て】
 この年表(日表?)を見るだけでとても多くのことがわかる。

 日本はハルノートを米国からの実質的な最後通牒ととらえ、真珠湾攻撃とマレー半島上陸に踏み切った。このタイミングはとても微妙で、もう1週間待てば独ソ戦でドイツが負け始めるところだった。日本はドイツが勝つ前に勝ち馬に乗るのに遅れまいと参戦しようとしたのだから間の抜けた話だ。

 ヒトラーは日本の参戦により米国が欧州の戦争に加わるのを歓迎しなかったのに、アメリカに戦線布告した。これは何故かいまだによくわからない行動だ。ドイツが宣戦布告しなければ米国は欧州の戦争に参加する理由はなかったはずだ。

 戦後ソ連の陣営にに組み入れられた東欧諸国(ブルガリア、ルー
マニア、スロバキア、ハンガリー)が枢軸国側で戦争に参加した。この判断も後知恵だが、滑稽だ。

 戦艦大和は開戦後にやっと完成したのだ。戦艦武蔵は更に後だ。この2艦が空母であったらと言うのも後知恵だ。

 香港はクリスマスに陥落したのだ。Merry Christmas, Mr. Lawrence. を思い起こさせる。

【防衛力強化論争に思う】

 論争が喧しい。
 保守陣営は、現下の国際情勢で、防衛費のGDP2%への増額は妥当であり、国防に不可欠だと主張する。
 左派陣営は、防衛費の増額で日本は米国、中国に次ぐ軍事大国になり、そんなに巨額の軍備は必要ない、戦争への前夜だ、と主張する。
 議論は全く嚙み合わない。

 中露という軍事大国と核武装を遂げた北調整、領土問題・歴史問題のある韓国に隣接する日本では、どのような紛争が起こり得て、どのような防衛策が効果的で効率的かは、国家の存亡に係る大問題だ。与野党を問わず、国民を巻き込んだ議論が必要だろう。一介の審議会で決定できる問題では無い。

 議論の際にベースになるのはあくまでも現行憲法ではないかと思う。理想主義だと笑われそうだが、憲法九条を見ると、「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
② 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。」と謳っている。

 敵基地攻撃能力は「武力による威嚇」には相当しないのであろうか。日本に向けて数千発のミサイル攻撃能力を持つ中国・ロシアに対し、500発の巡航ミサイル整備は、抑止力になるのだろうか。結局は核武装が必要だと言うことになりはしないだろうか。

 安倍首相が「積極的平和主義」という良い言葉(安倍さんの意図は別のようだが)を残した。今こそ、国家の100年の計を考えるべき時であり、その際には現行憲法が議論のベースになるべきだと考える。

2022年12月11日 日曜日