毀誉褒貶

今日は安倍元首相が凶弾に倒れて一周年だ。この方ほど毀誉褒貶の激しい人はいないだろう。

「毀誉褒貶」についてコトバンクを見ると以下のように書かれている。
『どんな人も、人に好かれるだけ、嫌われるだけということはありません。往年のある名物アナウンサーは、自分を好く人、好かない人の割合が「できれば八二、せいぜい七三」でちょうどいいと書いています。
賞賛と非難をあわせて「毀誉褒貶」と言います。「毀誉褒貶の多い人」「毀誉褒貶が激しい」などの形で使います。賞賛と非難が同じぐらいの場合は「毀誉褒貶、相半ばする」と言います。
「毀誉」も「褒貶」も似た意味のことばです。重ねるのはくどい気もしますが、細かく見れば違いがあります。
「毀誉」は、名誉を傷つけることと、名誉をたたえること。また、「褒貶」は、いい評価を与えることと、悪い評価を与えることです。後者のほうが、少し「上から目線」という感じがします。
S N S時代の現在、誰でも思わぬ評判を立てられることがあります。理不尽な「毀」「貶」は無視する「スルー力」も必要というのが専門家の意見です。』

安倍元首相の死亡についてすら、首相支持派は「凶弾に倒れた」とか「非業の最後を遂げた」と書くし、首相批判派は「銃殺された」と書く。

外交については、安倍首相の世界を俯瞰した外交を称賛する人がいる。クアッドを主導した。自由と民主主義の価値観を共有する国々との関係を緊密化した。国際社会における日本の立場を強めた。という称賛の声がある。一方では、20数回の日ソ首脳会談でも北方領土問題の解決は出来ずロシアに足元を見られただけだった。「ウラジミール、君と僕は同じ未来を見つめている」というジョークを世界に広めた。中国との関係は改善せず、北朝鮮との溝も深まった。という批判がある。

政治では安倍一強と言われ日本の歴史上最長の宰相となったが、多くの重大事項(集団的自衛権、米国からの輸入による軍備の増強、武器輸出)を、閣議決定で決定し、多数によりごり押しする政治形態を確立した。

経済ではアベノミクスを打ち出し、日銀による財政ファイナンスを事実上推進し、財政規律の超弛緩と、金利ゼロで無ければ生き続けることの出来ない日本経済を定着させた。

政治については、かつて松下幸之助が『PHP』に、「国民が政治を嘲笑しているあいだは嘲笑い値する政治しか行なわれない」「民主主義国家においては、国民はその程度に応じた政府しかもちえない」という二つの言葉を毎号掲載し、国民一人ひとりがもっと自分のこととして政治に関心を寄せなければならないと呼びかけたそうだ。家庭においても学校においても政治の大切さを啓発するとともに、何が正しいか、何が国民全体にとって利益となるのかを見極める眼を育てる教育が大切だと訴えたのである。

安倍元首相を批判するのはたやすいが、松下幸之助の言葉どおりの国民だからしょうがないともいえるだろう。

自分はアンチでもプロ安倍でもないが(良い政策も悪い政策もあったので是々非々だ)、唯一何か言えるとしたら、安倍首相は二度体調不良で政権を投げ出した人であり、強権を振るったが、多分胆力は乏しい人だったのだろう、という事だ。

2023年7月8日 土曜日