日航機墜落から35年

昭和60年(1985年)8月12日に起きた日本航空123便墜落から35年経った。8月には粛然たる気持ちになる日が多くあるが、自分自身が実感を持てるのはこの事件だけだ。

【歴史的な事故】
それは歴史的な大事故だった。
・墜落するはずがないと信じられていた日本航空(のジャンボ機)が520人の死者を出す航空史上最悪の事故を起こした。
・多くのビジネスマンが働き盛りの命を落とした。
・驚くべきことに4人の生存者がいた。救出活動が早ければもっと多くの命を救えたかもしれない。
その後、事故調査報告書が公表されたが、一読しても、誰のどの行為が事故に結びついたのか、事故原因が判然としない。

【戦後の折り返し点】
敗戦から75年、日航機事故から35年。とすれば
この事故は戦後日本の折り返し地点で起きた事故と見ることも出来る。

1975年ころから言われだした「一億総中流」という言葉に影が差し始めた頃ではなかろうか?自分が中流だと思う人が90%、上・下流は合計10%という意識に変化が出始めたころだと思う。

円高の進展、日経平均の上昇基調、地価の上昇により、上流階級はよりリッチに、中流から下流に滑り落ちる人が出てくる社会情勢だった。地価と株価の上昇は1989年末のバブル破裂まで続き、社会の分断は広まった。

エズラ・ボーゲルのJapan As Number 1が出されたのが1979年。日本は経済面のみに感心が行き浮かれていた。本来、国力の上昇期に解決しておくべき、韓国、中国、ロシアとの歴史問題・領土問題への真摯な取り組みが出来なかった。

【安定した雇用環境の消滅】
フリーターという言葉は1986年に朝日新聞がフリーアルバイターという言葉を使い始めてから広まった(wikipediaより)。バブル期には、求人難のコンビニなどで自分の好きなように働く今風の若者の働き方だととらえられていた。

しかし、バブル崩壊後の就職氷河期を経て、現在、非正規雇用が就業者の37%を占める不安定な日本になるとはそのころ誰が予想しただろうか。

【大企業はつぶれない神話の崩壊】
事故を起こした日本航空が不満経営で2010年に経営破綻するのは事故の25年後だ。

1997の金融危機で、山一証券や北海道拓殖銀行がつぶれたが、これは事故の12年後に過ぎない。2000年代初頭には、金融庁による金融機関の不良資産半減の掛け声の下、多くの大企業が倒産した。

現在でも大企業の人件費圧縮圧力は強く、フルタイマーでも明日の雇用はわからない状況になっている。

【高齢者人口の増加】
日航機事故で多くの働き盛りの人を失ったと書いた。人口統計を見るとそれもそのはずで、65歳以上の高齢者が人口に占める割合は1985年には12.5%。2020年の推計は37%である。

日航機墜落事故は航空機事故としても重大だが、戦後の歴史の変換点と見てもとても重大だとご理解いただけるだろう。

(2020.8.15)