1月4日の日経新聞10面にタイ消費財王ブンヤシット氏の大きなインタビュー記事が出ていた。同氏は、サハ・グループの総帥としてタイを代表する企業家で、70年代から日本企業との合弁事業で、タイの消費財市場に君臨してきた有名な経営者だ。
私は1986年から89年にわたりバンコクに駐在し、三和銀行とサイアム商業銀行との合弁の金融会社で営業の責任者をしていたが、ライオン、ワコールと言った企業とサハグループとの合弁企業が取引先だった。当時はまだ30歳前半だったが、一度ブンヤシットさん(ブンさんと呼ばれていた)にお目にかかったことがある。
当時、タイの華僑では息子が三人居ると、一人は欧米へ、一人は中国・香港へ、一人は日本に留学させて、一族の商売を拡大させるのが慣行だと聞いた事がある。ブンさんが日本に留学されたかどうかは聞きもらしたが、流ちょうな日本語で、金融でサハをサポートしてくださいと若い私を激励してくれたものだ。
日経のインタビュー記事では、現在の日本企業に対し「判断が遅く、このままでは競争に勝てない」と警告を鳴らしている。
私が1986赴任した年に赴任したころのタイの一人当たりGDPは2000ドル弱。日本は既に20000ドルに近かったと記憶する。プラザ合意後の円高の進展で日本企業が大量にタイに生産拠点を移した時期だった。
三和銀行の頭取がバンコクに来た際は、サイアム商業銀行は、大蔵大臣、中央銀行総裁、経済大臣を招いて歓迎のレセプションを大々的に開いてくれた。当時の彼我の経済の格差がもたらした厚遇でもあった。
昨年ははタイ人の訪日観光客数が、日本人の訪タイ観光客を上回ったそうだ。日本は何もかも安いとタイの若者がTVインタビューで元気に答えていた。
日本企業の活性化は日本が世界で伍して生き残ってゆくための唯一の手段だ。昔の記憶や名声にすがることは出来ない現在、ブンさんの警句に耳を傾けて、ここで頑張らなければ、彼の努力に対して恩返しすることにもならない。
2024年1月7日 日曜日