記憶警察

 小川洋子の作品は「博士の愛した数式」位しか読んだことが無い。ニューヨークタイムズのコラムに彼女の作品が取り上げられており興味深かった。

 In Yōko Ogawa’s 1994 novel “The Memory Police,” things on an unnamed island start to disappear. The first things to go are relatively minor — stamps, perfume, ribbon — but, pretty soon, bigger things begin vanishing. One day, there are no boats. Then no birds. Then no photographs.

 Curiously, most of the island’s inhabitants seem not to notice the losses, forgetting each as though it had never existed. But a select few people are somehow able to remember, and the plot of the book unfolds around their struggle to preserve that memory as the world around them disintegrates.

 英訳の題名は「記憶警察」だが、日本語の原題は「密やかな結晶」だ。Amazonの広告文は以下だ。

 『その島では多くのものが徐々に消滅していき、一緒に人々の心も衰弱していった。
 鳥、香水、ラムネ、左足。記憶狩りによって、静かに消滅が進んでいく島で、わたしは小説家として言葉を紡いでいた。少しずつ空洞が増え、心が薄くなっていくことを意識しながらも、消滅を阻止する方法もなく、新しい日常に慣れていく日々。しかしある日、「小説」までもが消滅してしまった。
 有機物であることの人間の哀しみを澄んだまなざしで見つめ、空無への願望を、美しく危険な情況の中で描く傑作長編。』

 とても面白そうなので、密やかな結晶は今注文したところだ。まだ読んでいないのだが、読んでいない本の感想を書くと以下のようになる。

  タイムズの記者は小川洋子の小説からウイグル自治区での中国のウイグル族への弾圧と中国化の強制へと論理を展開している。ジョージ・オーウェルの「1984」のように中央集権的な監視国家が支配するディストピアとしての世界を小川洋子も描いていると言いたそうだ。

 「博士の愛した数式」の博士は10分しか記憶が持たなかった。これは病気のせいだが、遠因は昔のつらい恋愛の経験にあった。「密やかな結晶」では秘密警察が国家に不都合な記憶を消している。多くの人は記憶を消されるが、少数の記憶を保温できる人は、それを隠して潜伏している。「記憶」は二つの小説を結びつける概念だ。小川の作品はずっと私小説的だ。

 記憶は自分たちの自己認識(アイデンティティー)の中核をなす。記憶は個人の精神の「結晶」であり、民族を結びつける「結晶」でもある。自分に閉じ込めれば自分だけの、社会で閉じこもればその社会だけの「密やかな結晶」なのだ。

2023年7月30日 日曜日