3泊4日で、利尻島、礼文島、稚内と旅行してきた。花が咲き乱れる北の離島めぐりが目玉のツアーだった。
フライトは行は、羽田-新千歳ー利尻。帰りは、稚内-羽田というANAのフライトで、いずれも満員だった。
利尻島は島の中心に利尻岳を擁し、周回道路の延長が50kmほどの小さな島だ。いくつかの観光地を見たが、どこもとても素朴だ。土産物は利尻昆布が一押しだ。
島の東西で利尻町と利尻富士町の二つの町があるがいずれも人口は2000人弱。20年前に比べて人口は半減しているそうだ。主産業は昆布、ウニ、ニシンといった海産業だ。
礼文島は島の東側と西側の地層が大きく異なり、かつ日本本土では高山にのぼらないと見ることの出来ない花々が間近に見られる「花の浮橋」だ。宗谷岬にわずかに日本最北端の地位を譲るスコトン岬は、記憶に残る景色だった。人口は約二千人。こちらも人口減が激しい。学校の児童に都会に慣れさせるためにわざわざ信号を設置したそうだが、本当だろうか。
稚内では宗谷岬の日本最北限と鉄道最北限のJR稚内駅の表示を確認した。
今回の旅のまとめ
・手つかずの自然が残ったいる礼文島では花の名前を勉強したなー。「レブンアツモリソウ」「ミヤマオダマキ」「エゾカンゾウ」等々
・利尻島のウニと昆布は美味しい。
・中国人の団体は居なかったので静かでよかった。
インバウンド依存の日本の地方としてはとても欲しいところだろうが。
・夏の混雑を冬にどう持ち越せるかは課題。
・礼文島には澄海(スカイ)と香深(カフカ)という
素敵な地名がある。これを活かして冬場に観光客が呼べないだろうか。
・利尻島、礼文島、稚内共に高台には自衛隊のレーダーサイトがあり、ロシアを巡る緊張を実感した。
・市街地を見下ろす稚内公園には第二次大戦終結後の昭和20年8月20日にソ連軍の侵攻を受けて自決した9人の電話交換手だった乙女の碑が設置されており国家に翻弄される国民の姿に深く考えさせられた。
何より気温が30度台の東京に比べ、最高気温18度程度の北の旅は命の洗濯になった。
2025年6月21日