今日は、数えて23回忌に当たる母の命日だ。回忌は数えで呼ぶので、亡くなって22年経ったことになる。久しぶりに母が眠る長岡のお寺に向かう。毎年、旧盆には盆参りしていたのだが、ここ数年は余りの酷暑に、行くことがためらわれたのだった。
23回忌についてはお寺からの年始の挨拶状で思い出したのだ。改まって法事をするわけではなく、御住職に読経をお願いする。母の眠る寺には、二人の叔父も眠っている。従兄たちが、これら三つ墓の面倒を見てくれるのでお墓はいつもきれいだ。とてもありがたいことだ。
母と死別してから22年とはずいぶん時間がたったものだ。母を思い出すときは、三好達治の「乳母車」や、さだまさしの「無縁坂」と一緒になり、寂しい秋の夕暮れのようなセピア色が包んでくれる印象がある。
母の親類縁者もめっきり少なくなったが、残った者が母を思い出すときには、彼女もまだこの世に生きているということではなかろうか。
何回忌というのは、33回忌を以って「弔い上げ」と言うそうだ。
それまでは頑張れそうだが、お墓については当方が元気なうちにきちんとしなければならない。そんなことを考えつつの長岡行だ。
米どころの田んぼにも休耕田がある。農政の無策が米不足を招いた。年老いたこの国に、農業はおろか、空き家対策、老人ホームの整備、老人医療の総合的な対策は無い。国会では各党が、消費減税の大合唱だが、人気取りでない国家の計を考える時期あるとも考える。
2025年5月3日 土曜日