今日、表記の住所に行った。
この住所には以前、三和銀行の本店ビルがあった。
1975年に三和に入行した私は、1973年竣工の黒い重厚なビルに通算5年、勤務した。
1990年当時、大手町には、富士、住友、協和、大和、興銀、長銀が本社を構えていたが、1-1-1という住所に誇りを感じたものだ。
現在、ビルの名は「大手町パークビルディング」だ。。
三和銀行(後にUFJ銀行)が2002年ごろ不良資産処理の過程で本社ビルを三菱地所に売却し生き残りを模索したが、結局、三菱東京銀行に吸収合併されることになった。その後三菱地所は三和の本社ビルを壊して大手町パークビルを竣工した。
自分自身は、三和がUFJになる前に転職しており、UFJが三菱に収合併された際も、まだ銀行に残っていた友人たちが苦労するだろうと思ったがそれ以上の感慨はなかった。
今日は、本店の変貌を見て、やはり吸収する側にならないとダメだと思った。
以前ユジノサハリンスクに旅行した時に、日本統治時代の樺太神社が壊され、現在は栄光広場と呼ばれ、ロシアの第二次大戦に使用した数台の戦車が山の上の本殿の跡地に展示されているのを見て、戦争には負けたくないものだと強く感じたのに、似た感慨だ。
ここまで書いてきて、ビルの変遷を勝ち負けに結び付けるのは正しくないかもしれないと思い至った。
何故なら、富士、住友、協和、大和、興銀、長銀、
大手町にあった都銀の本店のすべてが、以前のビルとしては存続していない。
IT化、OA化の進展で使い勝手の悪いビルはドンドンスクラップアンドビルドが進んで現在のような姿になった。
今後は、リモートワークの進展で、銀行の本部業務の多くがリモートで行うことが可能になるだろう。
大手町にある銀行本部ビルのいくつが生き残ってゆけるだろうか。
(2020.7.20)