命の値段

    昔タイに勤務していた時に、日本人(商社マン)が運転する自動車が交通事故を起こしタイ人の小さな子供をはねて死なせるという事故があった。その時にその商社マンは1万バーツ(当時のレートで5万円ほど。当時のタイの生活水準を考えれば50万円ほどに相当する金額)で示談したと聞いた。金額の小ささには驚いたが、それよりも、子供の父親がカップンカップ(ありがとう)と言ってお金を受け取ったということを聞いて更に驚いた。
 貧しい子だくさんのタイ人の父親にとっては、子供の命の値段はそんなものだったということなのであろう。今から40年も前、タイがまだまだ貧しかった日の話だ。私は30歳前だったが、運転手付きの社用車があり、メードのいるアパートに住んでいた。

 日本で自分の子供や親が事故に巻き込まれ亡くなったら一体いくらが妥当な金額になるのであろうか。池袋の高齢ドライバーが自転車に乗った母子を死なせた交通事故では、刑事事件で有罪になった元工業技術院院長に対し、民事訴訟では1億7千万円が請求されている。

 この事故では因果関係が明白だが、因果関係が明白でない事案では、いくらぐらいが妥当なのであろうか。財務省の書類改竄事案では、裁判を長引かせたくない国は、改竄作業の強要が自殺の原因になったという判定は行われていないのに、金を払って強引に結審させた。

 福島原発のせいで故郷を去らざるを得ず、避難先で失意のうちに亡くなった人などは、いくらぐらいの補償・賠償をもらっているのだろうか。

 今の日本で生活苦にあえぐ人が、親や子供を偶発的な事故で亡くした場合には、一体いくらぐらいの和解金を事故原因を作った人に対して請求するのだろうか。昔のタイ人の父親のように、少額の現金に目がくらむようなことは無いのだろうか。デフレと共に日本人の命の値段も下がってはいまいかと、余計なことだが、心配になるのだ。

 さて、6月から外国人旅行者の入国が解禁された。「安い日本」へとタイ人の観光客も沢山訪れることだろう。40年間で彼我の関係は大きく変わった。バンコクに住む日本人駐在員でも電車で通勤する人が多いと聞く。

 これからの40年で、更にどのように変わるのだろうか?命の値段を含めて。

(2022年6月4日 土曜日)