「人的資本経営」について楠木建氏の講演記録を読んだ。at産経新聞オンライン・セミナー 以下、同氏の講演内容だ。
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マスコミ、評論家、政治家は国難、100年に一度の危機、戦後最大の危機などの言葉を使いやすいが、皆が自分の利益を追求しているので安定期や平常期は起こりえない。激動は論理的に連続しない。商社3.0、インダストリー4.0、ソサエティー5.0などの言葉は、「目指せ甲子園」と同じ掛け声に過ぎない。ソサエティー1.0は狩猟、同2.0は農耕、同3.0は工業、同4.0は情報社会だったが、ソサエティー5.0は新しい社会と言われることがあるが、その意味が不明だ。掛け声だけの経営者は成功しない。
商売のゴールは長期利益をあげることであり、それを明確に具現化しているのは私がアドバイザーをしているファーストリテイリングだ。顧客満足度が高くないと、長期利益をあげることはできない。儲かる商売があってこそ、雇用を作って守れ、給料を払える。企業の社会貢献は法人所得税の支払いである。
企業には3つの市場(労働、競争、資本市場)に、3つの評価の場(働きがい、長期利益、株価)がある。利益を否定する人はNPOに行った方がよい。長期利益経営はほぼ自動的にESG条件を満足させる。企業は社会的存在で、社会があって企業がある。渋沢栄一も、「論語と算盤」で、道徳的な商売がいちばん儲かることを示唆した。女性登用も消費者の約半分は女性であり、女性登用が儲かるから企業経営上重要になる。
昨今、日本的経営の課題が指摘されているが、日経ビジネスは1976年9月27日号の創刊7周年記念特集で、「揺らぐ日本的経営」との記事を掲載していた。しかし、日本的経営は半世紀経っても、崩壊し切っていない。終身雇用・年功序列は、戦後復興から高度成長期には有効だった。終身雇用・年功序列には極端な透明性・客観性と評価コストの節約のメリットがあった。会社はジョブの組織であり、社会組織ではないため、本来雇用は「ジョブ型」しかないはずだ。今ようやく「普通の時代」が来たといえる。
人的資本への「投資」とは、「仕事をしたら払います」ではなく、「これだけ投資するから成果を出してくれ」という意味合いがある。生産設備(モノ)への投資は歩留まり30%アップがせいぜいだが、ヒトへの投資では成果が5~10倍に上がることも珍しくない。
仕事の報酬は良い給料と良い仕事の2つしかない。テクノロジーの本質は、人間がやっていた仕事の外部化である。AIが特定の領域で人間を凌駕するのは当然であり、そうでなければ外部化する意味がない。スキルの投入努力と成果の因果関係が明確である一方、センスではそれらが不明確だ。スキル×センスが仕事の成果になる。スキルはコモディティ化しやすい一方、センスの源泉は好き嫌いだ。賃上げなどの誘因(インセンティブ)と自らのやる気である動因(ドライブ)の区分が重要だ。
仕事の好きは命令できない。センスは余人をもって代え難くなる。究極の人的資本経営は、個人が好き嫌いを語り、経営がそれをくみ取り、好きな仕事を思い切り凝ってやれる状態を作ることであり、それが生産性を高める最上のアプローチだ。
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如何であろうか。読み応えのある講演内容だ。
一つ指摘しておきたいのは、日本の企業経営の容易さだ。これは政治との比較で考えると良くわかる。
政治では、対象となる有権者は、右から左まで思想の違う広範な人たちだ。知的に優れた人もそうでない人もいる。広い標準偏差の高さの低い巨大な山を考えてみればよい。
一方、企業経営では、特に優良な企業は、構成員は思考の似た知的レベルの揃った集団だ。狭い標準偏差の高さの高い小さい山を考えればよい。だから人的資本経営などと言ってもその難しさはたかが知れているのだ。
日本企業の経営のしやすさは、現代は米国企業の多様性や尖った新技術の開発に大きく後れを取った理由だ。金太郎あめの人的資本経営は意味が無いことに、優秀な学者も気が付いていない。
2024年10月20日 日曜日