「峠 最後のサムライ」という映画が6月17日に公開されると宣伝されている。幕末の越後長岡藩の家老河井継之助を主人公とする司馬遼太郎の小説『峠』が原作だ。
河井について映画の説明を見てみよう。
「越後長岡藩の家老・河井継之助は、江戸をはじめとする諸国への遊学で世界を見据えるグローバルな視野を培い、領民のための斬新な藩政改革を次々と実行していた。
戊辰戦争が起こり、日本が旧幕府軍か明治新政府軍かに二分する中、戦争を回避しようと、近代兵器を備えてスイスのような武装中立を目指した。だが、平和への願いもむなしく、長岡藩もまた戦火に呑み込まれていく―。
世界的視野とリーダーシップで坂本龍馬と並び称され、敵対していた西郷隆盛や勝海舟さえもその死を惜しんだといわれる、知られざる英雄・河井継之助。「最後のサムライ」として正義を貫くその姿は、今に生きる私たちに何を語るのだろうか。」
この小説は随分昔に読んだが、今手元にないので再読できない。記憶をたどると思い出されるのは、武装中立の願いが聞き入れられず、装備と人員に勝る新政府軍を相手に負けるとわかった戦を戦わなければならない継之助の心の動きだ。 「一寸の虫にも五分の魂がある。薩長におもねり、打算に走り、あらそって新時代の側につき、旧恩をわすれ、男子の道をわすれ、言うべきことを言わなかったならば、後世はどうなるのであろう。」という心の叫びだ。
越後長岡には自慢すべき3人の人物がいると母親(長岡出身)から聞かされて育った。幕末の河井継之助、戊辰戦争敗戦後のコメ百俵の小林虎三郎、昭和の山本五十六だ。心ならずも悲劇的な戦いを指揮しなければならなかった点で、継之助と五十六はよく似ている。
さて、なぜ司馬はこの小説の題名を『峠』にしたのだろうか。
峠は和字で日本が発明した文字だ。山を上り下りするから峠だ。新政府側に付くか、幕府側に付くかの運命の分かれ道をあらわしたのだろうか。戦に負けて越後から会津へ向かう峠で落命したことを示しているのであろうか。人生の岐路をいつも選びその選択に悔いはないという思いであろうか。
以前、大銀行の頭取がインタビューで尊敬する人物を聞かれ「河井継之助」を挙げていた。珍しい人を挙げるものだと共感した思い出がある。映画は機会があればぜひ見てみたいものだ。
(2022年6月12日 日曜日)