BookOffに古い文庫本を沢山持ち込んだが、買い取ってくれなかった数冊。
カミュ『ペスト』、上田敏『海潮音』、辻邦生『異邦にて』、そして、倉田百三『出家とその弟子』。親鸞と息子善鸞、弟子唯円をめぐる戯曲を50年ぶりに再読した。
「南無阿弥陀仏」の僅か6文字を心から念ずることにより弥陀の本願が叶い浄土に行くことが可能になる。悪人ほどそうなのだ(悪人正機説)。と親鸞は説く。一方、イエスは「誰でも幼子のような心にならなければ天国の門をくぐることは出来ない」と説く。仏教であれキリスト教であれ教義の中心は簡単なものなのだなあと、世界の真理を発見した気分になった高校生。The Truth is Out There!
では、日々の行いは「救い」に関係ないのだろうか。そんなことはあるまい。善行をすれば、善行を受けた人は感謝するであろう。たとえ誰にも気が付かれない善行でも、自分を喜ばせ、言動に自信を持てるようになる。
史実では、善鸞は「夜ひそかに父(親鸞)が私一人に教えた」教え(「夜中の法門」とか「秘事法門」)の元祖のように言いふらし、結局は親子断絶されたと言われる。戯曲では、親鸞は仏を信じることのできない善鸞を臨終に際して許す。つまり、最後の善行を息子に身をもって示しているのだ。
親は子に、そうなって欲しい名前を付けるものだ。「善鸞」という名前は、積善の人間として成長してほしいと親鸞が願って付けた名前に違いあるまい。
さて、一日を振り返ると「善行」と言えるほどのことをしていないのに愕然としませんか?
(2022年5月28日 土曜日)