沖縄慰霊の日

今日は沖縄慰霊の日だ。那覇市のHPには以下の説明がある。

 『慰霊(いれい)の日は、1945(昭和20)年6月23日に日本軍の組織的戦闘が終結した節目として琉球政府や沖縄県が定めた記念日。日付は6月23日で、沖縄県の自治体が定めた記念日のため、県庁や各市町村役場、公立の小・中学校、高校などは「公休日」になる。毎年、慰霊の日には糸満市摩文仁の平和祈念公園にて沖縄全戦没者慰霊祭が行なわれ、平和の礎へたくさんの遺族が訪れ礼拝している。』

 Wikipediaによると、両軍の人的被害は以下だ。
 『日本側の死者・行方不明者は188,136人で、沖縄県外出身の正規兵が65,908人、沖縄出身者が122,228人、そのうち94,000人が民間人である。日本側の負傷者数は不明。戦前の沖縄県の人口は約49万人であり、実に沖縄県民の約4人に1人が亡くなったことになる。
 アメリカ軍側は死者・行方不明者20,195人となったが、これは1944年12月に戦われた、西部戦線最大の激戦の1つであるバルジの戦いの戦死者最大約19,000人を上回るものであり、戦傷者は最大で55,162人、戦闘外傷病者26,211人を加えた人的損失は実に投入兵力の39%という高水準に達したため、ハリー・S・トルーマン大統領らアメリカの戦争指導者たちは大きな衝撃を受けて、のちの日本本土侵攻作戦「ダウンフォール作戦」の方針決定に大きな影響を及ぼした。』

 県民の4人に一人が、しかも終戦からわずか半年前から2か月前の間に亡くなったということは驚くべき事実だ。

 沖縄戦の記録を読むと日本軍は「沖縄の長期維持で本土決戦までの時間を稼ぐ」ことを目的としており、沖縄県民や若者(女子のひめゆり部隊の悲劇が良く知られる)は捨て駒として扱われている。県民を守るという姿勢は軍司令部には少しもみられない。

 かかる大きな犠牲を払いながら、沖縄には在日米軍基地の7割以上が現在も存在し、騒音や軍用機の墜落の危機や米兵による乱暴狼藉が続いている。

 「少なくとも県外」と言った首相がいたが、日本全体で米軍基地の在り方を考えるべきだ。その前提として日本の国防の全体像の再検討が必要だ。

2024年6月23日 日曜日